おはようございます。
昨日は、いタリアンバインドオフの練習をしていました。
針の動きが理解できなくて、どうも苦手なんですよね。
それで、ふと。。
私って、不器用やなぁと思ったわけです。
何度も失敗して、解いて、またやり直すを繰り返してるんでね。
でも、周りの評価は、「器用になんでもこなすよね」で……。
長らく自分の評価と、他人の評価に乖離があって、なんでやろうと不思議だったんですが。
昨日、その乖離がどこから来るのかわかったんですよ。
私、人の見えないところで、結構練習しているなぁって。
影なる努力家なわけです。
でも、努力していることもあまりアピールしないので、周りには飄々とできるようになっているように見えるわけです。
できない自分が許せないとは違うような気もして、ただ単に自分の力でできるようにならないと理解できない人な気がします。
目や頭だけで理解しても、消化できない。
自分の手や足を動かして体験することで、消化できる人なんでしょう。
なので、やっぱりアピールできないというところも含めて不器用な部類なんでしょう。
できるまで時間もすごくかかる。
でも、壁を乗り越えたときは本当の理解を得られる。
壁を乗り越えたときの喜びもたくさん味わえる。
イタリアンバインドオフ、まだ習得できていないけど。
きっとその内できるようになるんでしょう。
不器用なんだけどそれもそれもよき。
影なる努力ができる才能が私にはあるし、器用な人より多くの壁を乗り越えた喜びを味わえるからさ。